
先日の北鮮のミサイル騒動では、いつものように「うんざり感」を心中に残してしまいました。もちろんそれは将軍様へのやな気分に加え、中ロとの間でも意思の疎通がうまくいかない、というもどかしさが原因だと思います。我々が自明と思っていることが、どうしてこうも理解されないのか、ということが不思議を通り越して「怒り」を覚えさせるからでしょう。それは「言葉への不信」をもたらすものでもあるように思われます。
冷静に考えると、中ロ両国は北鮮との間に重大な利害関係があり、日米をけん制するためにも大切なカードだということが分かります。ありていに言えば、日米の主張はもっともだけれど、国際問題がアメリカ主導で全部解決されたりしたら、中ロの出る幕が無く「国際的な存在感」が薄くなるし、そのうち「自国の痛いところ」へでも目が向いてはもっと困る、それにもまして将軍様のご機嫌を損ねては商売にも差し支える、ということでしょうか。
現代では問題が起こると各国が国連などを通じて、どうするかを議論するシステムが曲がりなりにも使えるはずだと思うのですが、その話し合いがうまくいって問題がきれいに解決したなどということは、「めったに無い」ことではないでしょうか。その原因は、そもそも外交上の言葉というのが、それぞれの国ごとに恣意的に定義されているからで、まるでお互いにわざわざ噛み合わないようにしているのではと思ってしまいます。たとえば例の北鮮の「飛翔体」なるものが、ミサイルなのか人工衛星の打ち上げなのか、ということはちゃんとした観測データを利用すれば、どこの国でも検証は可能だと思われるのに、打ち上げた当人が言っているのだから「衛星」だろう、などと主張してへっちゃらなのですから呆れます。言葉のキャッチボールにさえなっていないわけで、外交というのはこういうわけの分からぬ議論で成り立っているのだな、それに耐えて粘り強くなされているのだなあ、と改めて外交官に頭の下がる思いがしました。酒場の議論でこんな返答をしたら喧嘩は必定でしょう。
もっとも我が国内にもそういう噛み合わない「言葉」は少なくないようで、「企業献金」とか「天下り」などというのが立場の違いで「定義」が異なるのは、大方の人が認めるところでしょう。もし、全く「ワイロ性」のない企業献金というものがあるとすれば、そのようなお金は所得税として「納税」するか、社員や株主への報酬となるべきもの、というのがひとつの定義でしょう。企業がお金を使うのは、会社の利益を目的とする(社員と株主なども含む)ものでなければならないのですから、献金が会社のためにならない(仕事などの見返りが望めない)場合には、それを行った役員は会社への「裏切り行為(故意に損失を与えた)」として指弾されるべきではないでしょうか。
「天下り」については先日朝日新聞に擁護論が出ていましたが、それによれば役人というのはずいぶん優秀な人が多いようで、上級のポストに着けない人はその才能を民間で生かすべきだ、とのことですが、その論でいけばどこだって上に行くほどポストは少ないのですから、民間企業で役員になれなかった優秀な人材は、どこかの役所へでも「天上がり」させなくてはなりません。
どうしても天下りが必要というのであれば、受け入れた企業はその人の出身官庁に関係した仕事は一切請け負えない、ということにしたらどうでしょうか。本当に能力のある人なら、そんなところから仕事を貰わなくたって大丈夫でしょうからね。
言葉がいつも「文字通りの意味」を伝達するわけでないことは、かなり単純な私も理解しているつもりですが、これだけ詭弁、強弁が世界に溢れていては、いっそ「大きな嘘」をつかれた方が気分は良いかもしれません。
「留守と言え
ここには誰も居らぬと言え
五億年経ったら帰って来る」 高橋 新吉